2012年3月24日土曜日

最後の卒園式

3月19日に市内の公立幼稚園の卒園式がありました。
去年、運動会の模様をブログでご紹介しましたが
土浦小学校の建て替え工事に伴って土浦幼稚園は園舎を取り壊しして移転するので、現在の場所での最後の卒園式。 17名の卒園生です。



土浦幼稚園の歴史は古く、開園は明治18(1885)年、126年の歴史があります。
茨城県で一番古く、日本でも7番目の古さで、当時の様子をうかがう事が出来るできる幼稚園の写真や当時の木の玩具などの資料も現存していて、土浦市博物館で預かっていただいています。

その歴史や卒園生の思い出を考えると場所の移転に複雑な思いもあります。
せめて何らかの形でその歴史と思い出を残したい。
市の対応は現在の場所に石碑と銅板で歴史が刻まれるというもの。それだけではひどい。
新しい土浦小学校中の、現在の土浦幼稚園がある場所あたりに、土浦市博物館に預かっていただいている当時の写真や木の玩具などを展示する場所を作って欲しい、と市にかけあってますが反応はいまひとつです。

次の時代を担う子供たちにこそ、こうした歴史を引き継がなくていけないと思います。

2012年3月21日水曜日

宮城県 災害ボランティア 4



津波の被害を受けた家、海岸から100メートルぐらいのところにあって、手付かずの状態です。
この場所にテントをはり、会議用の机と椅子を並べた会場では、市長さんはじめ地元の人たちのこのプロジェクトにかける思いが伝わってきました。
初日は瓦礫等の処理というボランティアでしたが、地元の産業を支援していくこともとても大事です。

復旧と復興

まだまだ応援は必要です。
瓦礫等の処理だけではなく、産業や観光といったその地域にたくさんの人たちがお金を落とすということも応援になります。

この地区は若者が跡継ぎとして残って漁や民宿をやってます。
お嫁さんと出会う機会がないんだそうです。
若い人中心のボランティアツアーを企画するのもいいかもしれません。

2日という短い期間でしたが、行ってからこそわかることが沢山ありました。共に発展できるようこれからの活動に取り組みたいと思います。

2012年3月20日火曜日

宮城県 災害ボランティア 3

18日の日曜日は地元の人たちにとって、生活の糧となる漁業と観光の再出発の日です。 昨年夏から企画、準備を始めやっと今日オープニングセレモニーをすることができた、と市長さんの挨拶。

今までは潮干狩りにもたくさんの人が来ていたそうですが、津波で砂浜の砂を持っていかれ、かわりに大きなごろごろした岩をたくさんおいていったため、 砂浜が戻ってくるまでもう何十年間は無理なのではないか、とのこと。

わかめやかにの収穫の体験したり、わかめの加工、近くの眺めのいい高台にトレッキング等、モニターツアーに参加しました。
体験をした後、その場所で昼食です。産業である海苔、牡蠣、わかめづくしでした。
今日が初日ということで、皆さんまだ慣れていなかったことと思いますが、気持ちが充分伝わるほど大歓待を受けました。 若い人たちも地元に残って、漁に出たり民宿を経営しています。彼らも本当に親切にしてくださいました。

「ぜひまたたくさんの人と一緒に来たいです」と、お話しました。



若い漁師さんの船でかご漁体験。 
かにをとります。

採れたてわかめ。熱湯でゆでるとよく知っている緑色のわかめになります。これは地元の人が食べたり民宿やこのプロジェクトに参加する観光客に出すぐらいで量はとれないのだそうです。
作業しながら食べたわかめは本当に美味しい。 

保存のため、たくさんの塩でまぶして終了です。

2012年3月19日月曜日

宮城県 災害ボランティア 2

17日の夜は地元の民宿に宿泊しました。高台にあるので、災難を免れたそうです。
食事のとき地元の人がきて話を聞く機会をいただきました。

ボランティアの人たちがいたからこそ今、復旧できる、ありがたい。
今までは瓦礫等の処理だったが最近、本来の漁業を再開するためのお手伝いが本当に助かる。
そういう人たちが、定期的にきてくれて、作業も本職なみでこうして自分等は前向きに生きてる。
高齢者も仮設住宅からあまり出ない。話を聞くことだけでもありがたい。

とおっしゃっていました。

2012年3月17日土曜日

宮城県 災害ボランティア

土浦市社会福祉協議会の災害ボランティアバスで宮城県東松島市野蒜地区に来ています。
今朝3時30分に出発して、9時から海岸の清掃を行いました。


ゴミの収集袋には、土浦市内の小学生のメッセージ書いてあります。海岸には津波で流されたものであり得ないものがたくさんあります。大きいものは家具類。じゅうたんも多数。ぬいぐるみも。
子ども用おむつなんかもあり、心が痛みます。



作業と同時に雨です。
体力勝負なので…腰にきますが、収集袋に書かれてる小学生のメッセージに元気をもらいました。


今日集めた瓦礫等です。海岸のほんの一部です。


東松島市野蒜小学校体育館が拠点となっています。
当時、みんな小学校の体育館に避難していて、ドアを閉めていたため津波に気付かず、一階にいた人は皆津波の被害にあわれたそうです。 
写真は体育館の時計。 地震の時間です。
被害の大きさで石巻市がとりあげられますが、人数ではなく割合にすると、野蒜の方が被災にあった人が多いのだそうです。

1年の歳月が経ってもなお、当時の状況が迫ってきます。この間のたくさんの人の頑張りを思うと共に、まだまだ行わなければいけないことの大きさを痛感します。